top of page

Time Leaper WK2 答え合わせ



ゲーム感覚で有酸素運動を楽しめるライブランでは『キャッチ・ザット・タイムリーパー・キャンペーン』を行いました(2024/11/11〜24)。


WEEK2の答えは『1779年』でした。


正解した方々、CONGRATULATIONS!!!!


プレゼント当選したのは:

  • たおたお

  • ゴッホ

  • キョエちゃん


誰よりも早く正解した特別賞は:

  • バーディー



オマイ(マイ):

ラアイテアの土地所有者の息子としてマイ(Mai)は約1751年に生まれました。父はプニのボラボラ戦士に殺され、彼はHuahine島に逃げて暮らしていました。父の復讐を取りたいと深く願っていました。チャンスが現れたのです。イギリスの船が島に来るようになったのです。

「彼らの持つ銃があればボラボラ族に勝てる」

思い切ってイギリス人にお願いして、船に乗らせてもらいます。

1773年、イギリス船HMSアドベンチャーでロンドンに到着。

島しか知らなかったマイの気持ちになってみてください。

近代的なビルや、馬に乗る人々をみてどう感じたとおみますか?


1774年から1776年、性格がピュアーだったマイはジョセフ・バンクスに気に入られて、イギリス社会に紹介され、上流社会で人気者になったのです。イギリスで最初の南太平洋諸島民でした。なんと王様であるジョージ3世に宮廷で紹介され、社交界のレディたちの密な関心を楽しみ、サンドウィッチ卿とレディの田舎屋であるヒンチングブルックに滞在してました。


その時代の卓越した肖像画家と見なされていたジョシュア・レイノルズはマイに会いたがり、ポーズを取るよう招待します。彼が描いた肖像画は誰からも依頼されておらず、レイノルズは1792年に自らの死を迎えるまで、スタジオにそれを保管していました。


この肖像画《Portrait of Mai (Omai)》が5000万ポンド(約83億円)で売れたことがニュースになりました。


その後、マイはどうなったのだろうか?

ジェイムズ・クック(キャプテン・クック)の第三次航海(1776~1780)に参加したのです。

アジアへの最短航路と考えられていた「北西航路」の発見が秘密の目的でしたが、マイをタヒチに戻して、タヒチの人々に牛、羊、山羊、豚、くじゃく、七面鳥、ガチョウ、アヒルなど家畜を与えるようにというジョージ3世の願いをはたします。長い旅の間、キャプテン・クックとマイは仲がよくなり、お別れのときは子供のように抱きついて泣いていたそうです。


歴史を紙に残す習慣がないタヒチでその後何が起きたのかははっきりしていません。1780年頃に自然死し(伝染病)で亡くなったと考えられています。でも、マイは死の前にボラボラ族と戦い、勝利を収めたと言い伝えがあるので、父の復讐を取ることができたと思われています。


タイムリープしたトレーナーTomoはこのマイと会っているので、マイが死ぬ1780年より前だとわかります。


パイエア(Pai’ea):

カメハメハ大王の子供の頃の名前です。歴史の紙に残す習慣がなかったので実際に何年に生まれたかはわかりません。

キャプテン・クックが第三次航海(1776~1780)でアラスカで氷と戦い、夏を待つのに使ったのがハワイ島でした。旅の重要な擁護者でもあったサンドウィッチ伯の名前をとり、ハワイを「サンドウィッチ諸島」と命名していて、ハワイをヨーロッパ人の地図に初めて載せたのがキャプテン・クックだと言われています。

1779年1月17日、船の到着はポリネシアの神ロノを崇拝するハワイの収穫祭「マカヒキ」と一致していて、偶然にも、HMSレゾリューションの形状—特にマストの構造、帆、リギング—は、崇拝の季節の一部を構成する特定の重要な工芸品に似ていたのです。ハワイ島周辺で上陸前にクックが進んだ時計回りの航路は、ロノ祭において島の周りで時計回りに行われる行列に似ていたので、島に上陸したクックを神ロノだと多くの現地人は信じていたようです。カメハメハ大王もクックに会っています。

一度島を離れるのですが、船に故障があり、再びハワイ島に戻るのですが、もめ合いになり、1779年2月14日にKalaimanokahoʻowahaに頭を殴られて、他の人たちに刺されて亡くなってしまいます。


タイムリープしたトレーナーTomoにパイエアは神ロノが島に戻って来て、「僕はこの目で見たのです。背が高くて、肌が白くて、帽子をかぶっていました」と言っていたので、1779年1月以降であることがわかります。


答えは1779年でした。


キャプテン・クックが第三次航海:


バラク・オバマ元大統領の『2024年夏の読書リスト』に選ばれた本がこちらです。残念ながら日本語版はまだでていないようです。キャプテン・クックの第三次航海が詳しく書かれています。

The Wide Wide Sea

Imperial Ambition, First Contact and the Fateful Final Voyage of Captain James Cook

Hampton Sides



​注意点

​歴史は昔になればなるほど不透明になってきます。エクスパート同士でも意見が一致しないこともよくあります。このゲームはライブランの選択した解釈で作られています。皆さんが見つけた情報と一致しない可能性は多いにありますのでご理解の上で楽しんでいただけると嬉しいです。

Comentarios


特集記事
最新記事
アーカイブ
タグから検索
ソーシャルメディア
  • Facebook Basic Square
  • Twitter Basic Square
  • Google+ Basic Square
bottom of page