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これは水です


2021年2月17日のビズランで紹介したのは作家、デヴィッド・フォスター・ウォレス(David Foster Wallace)さんが、2005年にKenyon Collegeの卒業式で行ったスピーチでした。

僕はこの約23分のスピーチを10回聞いても、11回目にはまた新しい学びがありました。これを30分の朝ランで紹介するのは難しすぎるのではと悩みました。Davidさんには失礼ですが、部分的に取り出して、できる限り簡単な日本語で説明したのがライブランのビズランバージョンです。

本物のスピーチは10倍深みがあるので、Youtubeで聞いてみてください。選んだリンクのバージョンは大きな文字があるので、英語が聞き取り難くても比較的わかりやすいかもしれません。


「これは水です」は本にもなっていて、翻訳されているようです。日本語版は読んだことがないので、うまくデヴィッドさんが伝えたいことが翻訳できているかわかりません。


準備の翻訳で悩んだ部分もありました。

“Worship”の日本語はなんだろう?

礼拝(れいはい)を使ってみましたが、「権力に礼拝する」とあまり日本語では使われないように感じます。英語だと”Worship power”とかよく使います。


渋滞の中でスーパーに行くシーンも、もっと日本人が経験している例に変えようかと思いましたが、そのままにしておきました。いくつかは英語だからうけるジョークもあったので、省きました。環境問題を真剣に考えている人が多いカリフォルニア州だと、燃費が悪いSUVとかピックアップトラックに乗っている人たちを批判する人が多くいます。”Patriotic or religious bumper-stickers”とは、”Proud to be American”(アメリカ人なことに誇りを持つ)とか”God Bless America”(米国に神の祝福を)と書かれたシールを車の後ろにはる傾向です。


デヴィッドが伝えたいメッセージは仏教の教えと似ている部分もあると感じました。でも仏教が広まっている国だと思っていた日本ですが、Siddhattha Gotamaの考え方に触れる機会が意外と少ないと感じています。反対にキリスト教がメインなアメリカでマインドフル瞑想が流行していて、意識に入ってくる考えを選ぶ重要性に気がつき始めています。でもデヴィッドの2005年のスピーチはマインドフル瞑想が流行するずっと前に行われています。


トレーナーTomo


 


僕の下手な日本語で部分的翻訳したスピーチです:


2匹の若い魚が泳いでいました。

年配の魚がすれ違ったときに、

“Morning, boys. How’s the water?”

「おはよう!今日の水はどう?」と挨拶。

若い魚たちは少し泳いだあと、仲間に聞きます。


“What the hell is water?”

「水って一体なに?」


この魚の話のポイントは、

most obvious, important realities are often the ones that are hardest to see and talk about.

最も大事な事実は

最も見えにくいこと。

言葉にするとつまんな言い伝えに聞こえる。

でもこのつまらない言い伝えが

大人の毎日では生きるか死ぬかぐらい、大事な意味を持つ。

これを今日は伝えたい。


アラスカの大自然の中にあるバーで、

二人の男たちが飲んでいた。

一人は宗教の信者で

もう一人は神様を信じない、無神論(むしんろん)な男。

神様の存在について熱く議論していました。

酔ってきた頃、神様を信じない男が言います。

「おれだって、神を信じたくないわけでなないんだ。

試したこともある。

先月、大吹雪だった日に遭難しそうになったんだ。

マイナス50度で、もう死ぬかと思った時に、

神様、助けてくださいと祈ってみたこともある。」


宗教の信者は不思議に思い、聞きます。

「だったら今は、君は神を信じているはずだ。

だってこうやって生きているんだから。」

“No, man, all that was was a couple Eskimos happened to come wandering by and showed me the way back to camp.”

「そうじゃないんだ。

その後、たまたまそこを通った、エスキモーたちが現れたらから

彼らに道を案内してもらっただけだ。」


このように二人が全く同じ体験をしても、全く違った解釈をする。

我々は様々な考え方を受け入れてあげたいから

どっちが正しくて、どっちが間違っているとは言わない。


でもそれだと、なぜ彼らがこのような考え方に

辿り着いたかを理解できていない。

人の考え方は背の高さや、靴のサイズのように、

決められていると考えてしまう。

二人ともが、自分の考え方が正しいと信じ切っていることはどうだろうか?


ポイントはこれだ。

どのように考えたらいいか。

それは少し傲慢(ごうまん)度を下げるのはどうだろう。

Because a huge percentage of the stuff that I tend to be automatically certain of is, it turns out, totally wrong and deluded.

自分は絶対に正しいと

自動的に思ってしまう。

でも実は完全に間違っていることも多いこと。


自己中心だと、

人に嫌われるから

自分が自己中心だと思いたくない。

でもよく考えると、生まれた日から自分にあった出来事を全て体験しているのは自分。

前にあるものは自分の前。

後ろは自分の後ろ。

他人が感じることは話してもらわないとわからない。

でも自分の気持ちはダイレクトにわかる。


他人への思いやりの話ではないんだ。


自然設定されている自己中心な視点で見ることを調節できたらどうだろう。

頭をうまく使う。

これは、何をどのように考えるかを選ぶ方法だ。

It means being conscious and aware enough to choose what you pay attention to

意識を何に向けるかを選ぶ。

大人になっても選ぶことができていないとヤバイことになる。


大人の普通の日を紹介しよう。

1日じゅう働いたあと、体も精神も疲れた状態で車で帰る。

渋滞でいつもより時間がかかる。

お腹が空いた。

あ、そういえば家に食糧がない。

スーパーに寄らないと。


みんなこの時間にスーパーに行くとので店内は混み合っている。

うるさい音楽に必要以上に明るい店内。

こんなところにいたくない。

So the checkout line is incredibly long, which is stupid and infuriating.

食品をバスケットに入れてレジを探すとそこには行列。

ラッシュの時間なのになぜもっとレジを開けないのだ?

でもこれをバイトのおばさんにぶつけても意味がない。


やっと買い物が終わり、車に乗ったらまた渋滞。馬鹿でかい車が無駄に排気ガスを出している。大人になるとこのような毎日を送るのです。



でもこのような嫌になる毎日こそ、選ぶ力が使えるんだ。

渋滞中とか行列に並んでいる時に考える時間がある。

if I don’t make a conscious decision about how to think and what to pay attention to, I’m gonna be pissed and miserable every time I have to shop.

何を考えるか、何に意識を向けるか。

これを選ばないと、毎日が悲しくなる。


オートマチックな設定は自己中心的な考え方。

About MY hungriness and MY fatigue and MY desire to just get home, and it’s going to seem for all the world like everybody else is just in my way.

私はお腹が空いている。

私は疲れている。

私は早く帰りたい。

それをみんなが邪魔をしている。


周りの人たちはみんな私の邪魔をしている。

なぜ列に並びながらあんな大声で電話しているの?

The thing is that, of course, there are totally different ways to think about these kinds of situations.

でも別の考え方をすることもできる。

もしかしたら馬鹿でかい車を運転しているひとは

以前ひどい事故を経験していて、大きな車でないと精神的に耐えられない人かもしれない。

急に横から入ってきた車には、病気な娘を病院に連れて行こうとしている父親かもしれない。

もしかしたら僕が邪魔者なのかもしれない。


スーパーの行列に並んでいた人たちは僕よりももっと大変な仕事をして疲れている人たちかもしれない。


僕はこのように考えないといけないと教えているわけではない。

このような考え方をするのは難しい。

努力が必要だ。

僕だって、いつもこのように考えられない。


でも、もしこのように考えることを選ぶことができたら、

娘に怒鳴っているかやましいおばさんをみたとき


もしかしたら彼女の旦那さんは末期がんで、彼女は3日間ろくに睡眠をとっていないかもしれないと考えたりできる。

もちろんその可能性は低い。でも不可能ではない。

If you’re automatically sure that you know what reality is, and you are operating on your default setting, then you, like me, probably won’t consider possibilities that aren’t annoying and miserable.

でも自分がいつでも正しいと信じていて、脳を自動設定にしておくと、

このような可能性を考えることはないでしょう。


でも自分の意識に気を向けることができると、

考え方の選択ができるようになる。

最悪な時間を過ごすか、

意味のある時間を過ごすかは

自分次第だと気がつく。


もう一つ、真実がある。

無神論(むしんろん)なんて存在しないことだ。

There is no such thing as not worshipping. Everybody worships. The only choice we get is what to worship.

みんな、何かに礼拝(れいはい)している。

何に礼拝(れいはい)するかを選ぶだけだ。


宗教的な、キリストとか、アラとか、テトラグラマトンなどの神に礼拝(れいはい)する方がいい理由は、

それ以外のものに礼拝(れいはい)してしまうと自分を食い潰してしまうからだ。

If you worship money and things, if they are where you tap real meaning in life, then you will never have enough, never feel you have enough.

もしお金や物に礼拝(れいはい)すると、いつも足りないと思う。

体やびぼうに礼拝(れいはい)すると、いつも自分が美しくないと思う。

歳をとってくると、これがどんどん苦しくなってくる。


権力を礼拝(れいはい)すると、いつまでも自分が弱く感じる。怖い。もっともっと権力をもたたいと不安になる。

Worship your intellect, being seen as smart, you will end up feeling stupid, a fraud, always on the verge of being found out.

知性(ちせい)を礼拝(れいはい)すると、いつも自分が馬鹿だと思ってしまう。自分は偽物だ。みんなにいつかバレる。


なにかに礼拝(れいはい)することが悪だと言うわけではない。

無意識にこうなる。

これが自動的な設定なんだ。


世間はこのような、お金や権力に礼拝(れいはい)する自由を与えてくれる。

お勧めされる。


でもあまり話題にはならない自由もある。

The really important kind of freedom involves attention and awareness and discipline, and being able truly to care about other people and to sacrifice for them over and over in myriad petty, unsexy ways every day.

それは意識に注目する自由。

他人を心からケアーする気持ち。

目立たないのに

自分をぎせいにする自由。

これが本当の自由だ。


知識を高め、自分の考え方を観察する力。

その反対は

無意識に日々を過ごす。

自動設定。

ねずみの競争。

見失った自分。

It is about the real value of a real education, which has almost nothing to do with knowledge, and everything to do with simple awareness; awareness of what is so real and essential, so hidden in plain sight all around us, all the time, that we have to keep reminding ourselves over and over:

これが本当の学ぶ力だ。

知識(ちしき)とは全く違ったもの。

意識の問題だ。

目の前にいつでもあるのに気がつかない。

だからいつも覚えておかないといけない。

“This is water.”

「これが水だ」

“This is water.”

「これが水だ」





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